私の頭の中のオーガナイザー

脳みそを整理整頓します

幸せになれない(前ブログ 2018/7/2)

1. 序文というには弱い文字の羅列

 

最近なんとなくイライラしていてイライラの原因もあんまり掴めないからまたイライラしてる。よく分からないから頭がこんがらがってきてとりあえず最近見かけたライブビューイングにいる頭ハッピーマンをみてふと考えた幸せについての考えを文章にしてみることにした。下手くそな駄文が出来上がる気がしているけれど日本で1番暇な人たちが読むのがブログだ、ある程度出来が悪い方がちょうどいい。

 

2.幸せは歩いてこない

 

だから歩いていくんだね。幸せにならなきゃいけないとは思ってないし不幸だと思ってるならそれはそれでいいことだと思う。幸せって難しい。「今が1番幸せだ」とか抜かしてもその幸せの絶頂は射精するなり薬をキメるなり100wのアンプでファズを踏むなりハナ差で単勝馬券が当たっている判定写真が最初に出てきたりしている間だけしか持たない。しかもそんな絶頂の今は1秒後には過去になる。そもそも厳密には何か事象が起こった後にしか評価はできないわけでそこであの瞬間は幸せだったと評価することしか出来ない。失った時間だけしか評価できないし失った時間だけが幸せな時間になりえる。つまり幸せを追い求めることは失った美しい時間を追い求めることだ。


3. 童貞だった頃に付き合ってた女の子の話


高校3年の夏から大学1年の夏まで付き合った女の子がいた。その子は結局当時25歳の社会人に取られた。その頃まだピカピカの童貞だった僕はとてつもなく女々しい言葉を吐いたし、それでさらに距離を置かれた。半年くらいそのことでずっといじけていたが大学2年にはなんとか立ち直り1人の女の子に振られ1人の女の子と付き合うことになった。それなりに幸せな時間を送っていたけれどそれでもその子のことはずっと胸の片隅にはあった。

 

4. 元童貞のリベンジ


去年、その子の職場が僕の住んでいるところと近くなったことをきっかけに飲みに行くことになった。彼女は酔っ払うとあの時のことを謝りたいとずっと言っていた。そのまま流れ込むようにホテルに行きセックスしてまた付き合うことになった。が半年も経たずすぐ別れた。こんなめんどくさい女だったっけと思ってしまった。

 

5. 追い求める(seekする)ことについて

 

「seek&find」

「 失ったものを探し見つけ出す、しかし見つけ出した時にはそれは変容している」

 

それがレイモンドチャンドラー小説の根底だ、とどこかで読んだ(これは講義室の隅で経済学の授業中に文学系の小難しい本を読んでるのがカッコいいと思っていたおそらく僕の人生で1番の黒歴史になりえる頃に蓄えた知識だ)。ちなみにその裏で行なっていた経済学にはサンクコスト効果というものがある。分かりやすく言うと元を取らねばもったいないという思考がそれだ。seekすることにもコストがかかる。思いを馳せる時間が一番のコストだしそれをもう一度取り戻そうとすると沢山の心理的負荷がかかる、それにお金だってかかる場合もある。とするとseekしているものに対し大きな期待を膨らませていく。要は僕らは一度失った幸せな時間を、時が経てば経つほど美化してしまうのだ。

 

6. 幸せになりたい人間は幸せになれない

 

もう戻らないものならまだいい、青春時代は一度しかないから美しい。しかしまた手に入る可能性が少しでもあるものは厄介だ。美しいと認知しているものと、美しいかもしれないと認知しているものが並ぶと、どうしても前者を手に入れることを想像してしまう。そして前者を失わなかった人生のルートに思いを馳せてしまう。一度失った、美しいと思っていた時間はseekし続けている間どんどんと輝きを増していき、findした瞬間にそれは全く違うものになっている。幸せになりたい人間は絶対に幸せにはなれない。穴だらけかもしれないけど個人的にはもうこれで良いかなという感じ。Q.E.D.

 


7. だからなんだって話


イライライライラにゃんにゃんにゃんにゃんした気持ちになると考えたことをこうやってまとめることである程度スッキリすることもある。今日はわりかし成功した。最近はサウナに行ったりくだらないツイートしたりすることでも発散している。日々鬱々と思っていることを吐瀉物みたいに撒き散らしたような文章。ただのデトックス。「自己療養のささやかな試み」として小説を書くほど脳みそができてないからこういうところに適当に書く。幸せかどうかが重要だと思い込むと毎日死にたくなるしそんなことはもう考えないようにしている。僕はいつでも生きていくことは難儀だと思っているしそんな人間たちとつるんでそんな人間たちのために生きていきたいと思ってるしなるべくそういう風にやってる。

それなりに毎日は楽しい。

 

 

8. オチのようなもの

 

だけど僕は今でもやっぱり一昨年東京に行ってしまった女の子と酔っ払ったまま抱き合って眠った日々が恋しいし、今年東京に行ってしまったセフレとのセックスが恋しい。