私の頭の中のオーガナイザー

脳みそを整理整頓します

Paint Your History,Black!!!

1.愛のゆくえはクローゼットに

  私はとても服が好きで、常に沢山の意味不明な服がクローゼットに散らばっている。背中に鳥の刺繍が入ったスタジャン、ペンドルトンのXLのニット(ちなみに私は身長165cmのホビットと呼んでも差し支えない身長に加え、ジャパニーズによくある顔デカで手足が短いという生きながらの苦しみ体形である)、クリスマスカラーの緑を基調とした赤を散りばめたバンダナ、などジャンルを超えた多種多様で雑多なクローゼットだ。その愛すべき(というか無償の愛とかいうものでもなければとても家に置いておけない)洋服たちを、去年のコーディネートを思い出しながら一つ一つ着てみる。あのときは自分が街で1番かっこいいと思っていたのに今見てみると色々ダサい!!!なぜ私はこんな格好をして堂々と街を歩いていたのかと1人赤面する。これが私の年末の恒例行事だ。

 

2.Shame in your M.I.N.D.

  年末に1人でわざわざ思い出さなくても良いものを思い出してわざわざ赤面して、ドMここに極まれり、と思うかもしれない。でも私にとって一応この儀式には意味がある。それは、自分の感性がどのくらい成長したかを確かめるためだ。恥じる、ということを逆に考えてみればそれは自分が明らかにそこより、その時よりは上のステージに立っているということの証左になる。今の自分が恥ずかしいだなんて基本的には思っていない、というか自分を恥ずかしいと常に思いながら何食わぬ顔で毎日を過ごしていくなんて普通の人間にはとてもできたもんじゃない。"恥の多い生涯を送ってきました"という名文でスタートを切った作品があるが、それもあくまで「きました」という過去形であって、現時点での自分を恥じながら過ごすと表現もへったくれもあったもんじゃない。そんな時代は少なくとも思春期までには終わりを告げなければいけないはずだ。

 

3.Charming man

  この儀式を初めて遂行したあと、私は深い衝撃に襲われた、いわゆるディープインパクトである(いわゆらない)。もし過去の自分を恥じる事が今の自分が成長していることの証左なら、過去の自分を恥じなくなった時、その時こそが完全に成長が止まった証なんだと。身体の成長ストップは定期検診を半強制的に受ける時期にだいたい分かってしまうものだが、感性の成長のストップはどこだろうか、などと小難しいことを考えていたまだチャーミングな青年だった頃の私にはとても衝撃的な閃きだった。

 

4.受け入れることは

  よく「大人になる」という慣用句的な言葉を私たちは口にする。そこには、思った通りにはいかない現状をそのまま受け入れる、という意味がある。世の中には「しょうがない」ことがよくある。自分1人の力では変わらない物事はたくさんあるし、それをいちいち手にとってどうにかしようとかどうにかできたとか言うのは時間の無駄だ。とりあえずそのまま飲み込んで次に自分が出来ることをやらないといけない、時間はslowでも止まんないし人生は短い。これをひっくるめて私たちは「大人になれよ」という言葉を使う。大人になるということは、受け入れることだ。

 

5.圧倒的成長

  私たちの体はだいたい20代の前半で成長が止まる。背が低いことに悩まされていた私に祖母は「男の子は25の晩飯まで背が伸びる」と言ってくれたが、結局はそこらへんまでで完全に止まってしまい、大人の身体として完成してしまう。いくらホビット体形でももうそれはしょうがない、そこは私は受け入れて、そして大人になった。でも感性や精神や知性は、自分が昔の自分を恥じ続ける限り成長を続けることができるはずだ。ビッグサイズを自分なりのセンスで着こなすとか言いながら古着屋で2万もするコートを買ってしまったこと、サークルのとても仲の良い後輩と明らかにこれからの空気が気まずくなると分かっていながら酒の勢いでセックスしてしまったこと、クロコスミアから買って延長でキレのある馬に折り合いプロのモレイラが乗っていたのにリスグラシューを相手で買わなかったこと、そんなことを思い出しては何度も軋むベッドの上で1人転げまわることができるうちは、私は成長を続けているはずだ。これはこれで良かったよな、なんて言いながら受け入れてしまうような気分に襲われることが私はなによりも怖い。

 

6.恥じた数だけ強くなれるよ

  黒歴史が多ければ多いほど自分の感性は成長している、それは成長痛みたいなものだし、忘れたいものが多ければ多いほど忘年会への身の入り方も尋常じゃないほど強くなってくる。せっかく暇が増える年末だ。これを読んでいる人たちも、昔のことを思い出しては悶え続ける時間を少しは取ってみてもいかがだろうか。

 

  年の瀬にようやくひとまとまりの文章を書くことができた自分を褒めてあげたい。そしてこの勢いとノリだけで作り上げた文章を読み返して来年の年末にはまたベッドを転げまわっていることだろう、そうであってほしい。