私の頭の中のオーガナイザー

脳みそを整理整頓します

リハビリテーション、継続、期待値

文章を書くことが自分が思っていたよりも苦手だということに気づいた。平均よりはたくさんの文章を読んでいる自信はあるがインプットだけではもちろん文章を書くことは身に付かない。なのになぜか書ける気になっていて、これが批評側の全能感だと思った。出来上がったものを見てあれが足りないこれが下手などとギャーギャー喚くことは簡単だ。1を10にするのは楽勝で問題は0から1にするとき、そこには全く別の能力が必要だ。

 

最近歩き方を変えた。重心を少し後ろに持ってきて背面の筋肉を全体的に使う、特に大腿の後ろ。かなり歩くことが楽になったし何より歩くことに対しての面倒臭さがかなり減った。身体動作について少し勉強もした。技能というか動作について洗練させていくには、同じ動作を何度も繰り返し意識しながら行い、それを無意識に染みつくまで繰り返す。なんらかの技術が必要になる物事をやったことがある人ならなんとなくは分かるだろうけど、これは別に身体動作だけではなくて思考にも言えるだろう。文章を書くには文章を書く呼吸や型があるんだろうしそれを見つけるには継続した訓練がなによりも必要でそれをいつものように投げ出している間は上手くはならないんだろうね。なるべく短くてもいいから継続することを心がけたい。

 

継続は力なり。これは最近分かったんだけどギャンブルにも適用される。ギャンブルでの最終的な勝利は期待値によってもたらされるのだが、期待値っていう概念は一回や2回の試行ではまず収束しないし上振れを引けるかだけの勝負になる。まず期待値を追うための大きな条件があってそれは、これからずっと期待値を追い毎回毎回休まずにそこに突っ込み続けることだ。継続によってしか期待値の期待は実現されない。そのたった数回、数十回の試行での勝ちはただのまぐれ勝ちだ。その一回の勝負レースでの勝利はただのまぐれ勝ち、その1日の収支はまぐれ勝ちだ。ギャンブルに本当に期待値の概念を持ってして勝ちたいのなら、あなたが辞めるまでその期待値を追い続けなければならない。すごく過酷な道のりだと思ってしまった。

 

ちなみになぜこんなことを思ったかというとパチンコの期待値稼働をしていたら久々に2日間で7万ストレート初当たりすらなく負けたからなんですけどね。地元ではありえないくらい回っていて、むしろ回すことに快感を覚えてしまったからずっと通常時を打ててとても良かった。とはならない。給付金が入ってからどうもヒキが弱すぎる、やはり安倍政権は巨悪だし急にバシバシ摘発始めた検察庁を全面的に支持したい。