私の頭の中のオーガナイザー

脳みそを整理整頓します

忙、夏、酒、アイビスサマーダッシュ。

 この2ヶ月いろんなことがあって取り巻く環境が変わり、今までより本当に忙しくなりはしたのだが、たしかにLINEの返信をする暇がないとか電話する暇がないとか競馬する暇がないとかそういうわけじゃない。

 ストレス値が高くなると作業能力値は減退し、さらに作業が遅れさらにストレスが溜まる。負のスパイラル。感受性も低下しいろんなことが楽しくないから単純な刺激を求めてパキンコ屋に入ったり、1日寝て過ごしたりする。

 そこまで含めて他人のための時間が取れなくなる。心が亡くなるって書いて忙しい、これほど真に迫るものはない、人という字の成り立ちを教える暇があればこっちを教えて欲しかった。

 

 夏の気配が強くなってきて日差しがやかましいくせに湿度は高い。重ね着に限界はないが脱衣には裸というゴールがある、しかもすぐそばに。

 筋肉量と夏適性は比例している。動植物にとって恵みの季節、そこではヒトという生物としての本能が躍動し、人間としての精神の出る幕などない。精神はいつだってクールさを求め本能はいつまでも熱さを欲している。別にそれは優劣じゃなくて単純にどっちが自分にとって優勢かっていう話なんだけどここまで読んでたら分かる通り私は筋肉より脳みそが優勢に発達しているせいで夏が嫌いだ。

 なつ と うつ は1文字しか変わらないし韻を踏んできてるあたりがまたキツい。夏に盛り上がるってことは自宅を燃やしてる火に油を注いで喜んでるようなもんで、そんな病気みたいな感性に侵された連中が何万人も集まるような夏フェスにこういうことを書く人間が行けると思うか?女はたしかに引っ掛けやすいけどそれ以上にこっちの気力がなくなるからほんとうにダルいし恋なんて出来るわけがない。

 ホントはガンガン精神を冷やし続けないといけない、そんな夏の数少ないフェイバリット。

 The Smithはとことん冷凍庫的な音楽で夏に聴くには最適だ、あのコーラスかけたギターリフを冬に聴いたら間違いなく自殺できると思う、そのくらい冷却力が高い。心温まる音楽は多いけど心を冷やしてくれる音楽は数少ない。学生時代に真夏のドームまでチャリでバイトに行ってたころはこれでどうにか乗り切っていた。500日のサマーに出てくるサマーみたいな女の子がいれば2人で一日中部屋に篭ってスミス聞きながら眠り続けたい。

 ジン。とにかくジンを飲む。気温が高いととにかくジンが美味いから適当にジンを2〜3杯飲んでギムレットで締める。そこまでドライな形で飲んでるんだからもちろん甘めに作ってもらう。そんでフラフラしながら夜の街を10分ぐらい散歩してタクシーを捕まえる。ここまでが夏に出来る数少ない美味い酒の飲み方。

 

 競馬を始めてからはそこにアイビスサマーダッシュが加わった。芝で1番短いレース。重賞で1番短いレース。一瞬の喩えとして適切なのは雪。手に触れた瞬間に消えてしまう。花火も雪みたいな降り方をして散る。あまりにも短いスピード感は冷たさを運んでくるんだと気づいた。2週間くらい前からアイビスのことしか考えられなくなるし、レース後には後10回くらいアンコールをかけたい気分になる。先行で本番まで来てる馬が多いからだいたい差しが間に合うのがまた素晴らしい。本家ラップマスターの私的には前哨戦と本番を比べるとやはり本番では前傾戦が多くなるし本家ラップマスターの私的には8枠西田だけが永遠だと思うし本家ラップマスターの私的には現状聴けてる新譜ではベタにヴァンパイアウィークエンドがベストなんだけどそれも気温の上昇につれ聴く頻度が減ってしまうだろうね。TOKONA-Xだって熱中症による体力低下で死んでしまうんだしそれは間接的に夏のせいで死んでるってことだからパンピーの私たちはなおさら気をつけなきゃいけないってこと。

 

忙しいからここまでな。

 

うたまとめ

今まで作った歌のツイートをまとめてます。芸術とは心を抉るような思いで生み出す作品です。私の場合はさらに財布まで抉っているので良作揃いなのも頷けますね。もう二度と歌を作らないでいいようにお気に入り馬の登録をぼちぼちやりたいと思っています。それではお聞きください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ツイート群 タイトル: アニメオタクは気持ち悪い

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ブログ書いてたら諦めるくせに適当にツイートしたらブログ分くらいの分量になったので全部貼り付けてポイです。こっからちゃんと文章に直せる日が来るといいですね。

 

 

 

アニメオタクがなぜ気持ち悪いかまじめに考えてみるか。

 

ちっちゃい頃はみんなアニメ観てたはずなのにね。

 

思春期に入るとごっこ遊びもやめる。空想の世界から現実世界に入る。対外的な関係を本腰入れて構築していく年代。もともとは1人1人がヒーローでヒロインだったはずなのに能力や容姿のせいで対外関係を築いた時に自分が望む位置に入れない人たちがたくさん生まれる。

 

能力や容姿で自分が望む地位が取れなかった人はどうするか。その1、方向を変えて今の自分が取れるところを取りにいく。その2、自分が取りたい地位を取れるまで努力する。その3、諦めて対外関係から逃避する。別個でそもそも精神的に成長が追いついていなくて対外に目が向いてない人もいる。これはどれか1つを選ぶというよりは人によって割合が違うという感じ。

 

そしてその逃避先として分かりやすいのが一回通ってる(というかその最中の場合が多い)アニメや漫画。他のコンテンツに比べたら沢山の人達が通ってるしやったことがないことに目を向けるのはいつでも骨が折れる。手に入れるのも簡単で本屋くらいならどこの町にもあるし今の世の中インターネットがある。

 

優越感と劣等感は大なり小なりほぼ全ての人が持っている感情で、これがあるから人はある程度の努力ができるようになってる。いきすぎると壊れちゃうけど大抵は劣等感を感じたくない、優越感を感じたいから努力する。

 

それは昔自分がいた位置にいる人に対しても起きやすい。まだその問題やってるの?まだセックスできてないの?まだ東京で消耗してるの?的な。ほとんどの人間がちっちゃい頃にアニメを観ていたからこそ、「まだアニメ観てるの?」という感情も出てきやすいはず。

 

つまり、「もう人生においては次のステージに移ってるはずなのに、まだガキみたいなことやってんの?」という風になる。というかさっさと次のステージに進まないといけない、という人間社会全体のシステムが存在している。種族繁栄のためにはさっさと働いて子作りしてもらわないといけないわけで。

 

萌え絵の気持ち悪さについては知識が足りないし完全に妄想ですがまだ射精排卵できない幼児的なものに興奮しづらい機能があると思う脳みそに。

 

基本的にコンテンツは生活に必要ないものでそこに過剰に力を注いでるのはそりゃあ気持ち悪い。仕事がコンテンツ化してるワーカホリックな人はそれはそれで違和感感じるだろうし。

 

 

 

なんか変な終わり方ですがキリがないので諦めました。このスタンスでやって文章の素を貯めればあとは調理してポイでいいんですけどね。そこら辺ができません。脳みそがいつも散らかってます。お掃除がとても苦手です。以上です。かぐや様は面白いです、各位漫画読むように。

Paint Your History,Black!!!

1.愛のゆくえはクローゼットに

  私はとても服が好きで、常に沢山の意味不明な服がクローゼットに散らばっている。背中に鳥の刺繍が入ったスタジャン、ペンドルトンのXLのニット(ちなみに私は身長165cmのホビットと呼んでも差し支えない身長に加え、ジャパニーズによくある顔デカで手足が短いという生きながらの苦しみ体形である)、クリスマスカラーの緑を基調とした赤を散りばめたバンダナ、などジャンルを超えた多種多様で雑多なクローゼットだ。その愛すべき(というか無償の愛とかいうものでもなければとても家に置いておけない)洋服たちを、去年のコーディネートを思い出しながら一つ一つ着てみる。あのときは自分が街で1番かっこいいと思っていたのに今見てみると色々ダサい!!!なぜ私はこんな格好をして堂々と街を歩いていたのかと1人赤面する。これが私の年末の恒例行事だ。

 

2.Shame in your M.I.N.D.

  年末に1人でわざわざ思い出さなくても良いものを思い出してわざわざ赤面して、ドMここに極まれり、と思うかもしれない。でも私にとって一応この儀式には意味がある。それは、自分の感性がどのくらい成長したかを確かめるためだ。恥じる、ということを逆に考えてみればそれは自分が明らかにそこより、その時よりは上のステージに立っているということの証左になる。今の自分が恥ずかしいだなんて基本的には思っていない、というか自分を恥ずかしいと常に思いながら何食わぬ顔で毎日を過ごしていくなんて普通の人間にはとてもできたもんじゃない。"恥の多い生涯を送ってきました"という名文でスタートを切った作品があるが、それもあくまで「きました」という過去形であって、現時点での自分を恥じながら過ごすと表現もへったくれもあったもんじゃない。そんな時代は少なくとも思春期までには終わりを告げなければいけないはずだ。

 

3.Charming man

  この儀式を初めて遂行したあと、私は深い衝撃に襲われた、いわゆるディープインパクトである(いわゆらない)。もし過去の自分を恥じる事が今の自分が成長していることの証左なら、過去の自分を恥じなくなった時、その時こそが完全に成長が止まった証なんだと。身体の成長ストップは定期検診を半強制的に受ける時期にだいたい分かってしまうものだが、感性の成長のストップはどこだろうか、などと小難しいことを考えていたまだチャーミングな青年だった頃の私にはとても衝撃的な閃きだった。

 

4.受け入れることは

  よく「大人になる」という慣用句的な言葉を私たちは口にする。そこには、思った通りにはいかない現状をそのまま受け入れる、という意味がある。世の中には「しょうがない」ことがよくある。自分1人の力では変わらない物事はたくさんあるし、それをいちいち手にとってどうにかしようとかどうにかできたとか言うのは時間の無駄だ。とりあえずそのまま飲み込んで次に自分が出来ることをやらないといけない、時間はslowでも止まんないし人生は短い。これをひっくるめて私たちは「大人になれよ」という言葉を使う。大人になるということは、受け入れることだ。

 

5.圧倒的成長

  私たちの体はだいたい20代の前半で成長が止まる。背が低いことに悩まされていた私に祖母は「男の子は25の晩飯まで背が伸びる」と言ってくれたが、結局はそこらへんまでで完全に止まってしまい、大人の身体として完成してしまう。いくらホビット体形でももうそれはしょうがない、そこは私は受け入れて、そして大人になった。でも感性や精神や知性は、自分が昔の自分を恥じ続ける限り成長を続けることができるはずだ。ビッグサイズを自分なりのセンスで着こなすとか言いながら古着屋で2万もするコートを買ってしまったこと、サークルのとても仲の良い後輩と明らかにこれからの空気が気まずくなると分かっていながら酒の勢いでセックスしてしまったこと、クロコスミアから買って延長でキレのある馬に折り合いプロのモレイラが乗っていたのにリスグラシューを相手で買わなかったこと、そんなことを思い出しては何度も軋むベッドの上で1人転げまわることができるうちは、私は成長を続けているはずだ。これはこれで良かったよな、なんて言いながら受け入れてしまうような気分に襲われることが私はなによりも怖い。

 

6.恥じた数だけ強くなれるよ

  黒歴史が多ければ多いほど自分の感性は成長している、それは成長痛みたいなものだし、忘れたいものが多ければ多いほど忘年会への身の入り方も尋常じゃないほど強くなってくる。せっかく暇が増える年末だ。これを読んでいる人たちも、昔のことを思い出しては悶え続ける時間を少しは取ってみてもいかがだろうか。

 

  年の瀬にようやくひとまとまりの文章を書くことができた自分を褒めてあげたい。そしてこの勢いとノリだけで作り上げた文章を読み返して来年の年末にはまたベッドを転げまわっていることだろう、そうであってほしい。

考えすぎとか言う前にもっと考えろ(前ブログ 2018/7/4)

1. ベンチプレスのギネス記録は500kg

 

人間は考える葦である、と大昔の頭の良い人は言いましたが葦じゃあないよね、100m9秒台で走れる人もいるし500kgのベンチプレスを上げる人もいる、それなりには強い。もっともそこじゃなくて考える力こそが人間の本質だょ^_^ってことだしこんなクソみたいな揚げ足を取っても転ぶ人はもうとっくにあの世にしかいないし考えることが最大の武器だってことは分かる。

 

2. 馬鹿とハサミと軍隊と脳みそ

 

バカは強い。自分を制する能力と他者への共感能力が低いから誰でも殴れる。法治国家において法の概念がない馬鹿は最強だ。ハサミで手を切ると痛い。白夜行って小説に至ってはハサミで人を殺してる。人間<ハサミになり得る、ハサミは強い、少なくともハサミムシよりは強い。馬鹿とハサミは使いよう、毒をもって毒を制す、強い力は使い方次第で良い方向にも悪い方向にも向かう。産業の大きな発展や国の衰退には軍事が関わっている、インターネットでガチャガチャツイートして手軽に承認欲求を満たせるのも冷戦の時にアーパネットができたおかげ、武力万歳、とも言える。そんな中で人間一人一人に与えられている最大の武器が脳みそでシナプスがプスプスプスプス脳みそを巡っているおかげで僕らは今食物連鎖の頂点に立っている。

 

3. 線を引くこと

 

強すぎる武器を持て余すとロクなことがない。常に使い続ける場所があるなら良いけど基本的に人生はいくつも隙間が空いているものだし僕は人よりも隙間が多い人生を送ってきたから余計そうだ。頭の中で無駄に伝達物質をループさせると生きていく上では全くもって不要な物事にも手が伸びてしまう。もともと真面目な気性も相まっていろんな物事に自分で一つ一つ正解を見つけないと我慢できない。脳みそが付いている意味がないと考えてしまう。正解なんてあるわけない物事に対しても「正解なんてあるわけないというのが正解」というジャッジを下さないと満足できない。めんどくさいけどそれが自分なりの理念でそれを守らない自分が1番嫌いだからしょうがなく毎日グダグダグダグダといろんなことに物差しを作り線引きをする。少しずつ生きるのが楽にはなってきているけどまだ途方もなく沢山の審判を待つ物事の群れがいる。ミケランジェロもこれだけ書かなくちゃいけなかったら真っ青だろうってほどの多さを感じるし多分一生こういうことを続けていくんだろう。

 

4. 十人十色

 

ジャッジが終わった物事に対して違う態度を取ってる人を見るとそれだけでイライラしてしまう。だって自分にとっては正しくないんだから。自分ではしっかり考えてると思うしそれが違うと思ったらすぐに改めるように努めてると思ってるから尚更タチが悪い。でも色んな考えがあって良い物事と色んな考えがあって悪い物事は違うでしょ。1+1=2だから世界は成り立つわけでそこに3とか言うやつがいるとおかしくなるわけでそういう風なことも考えずに色んな考えを受け入れようなんてニコニコ言ってしまえるヤツには本当に吐き気がする。もっと考えろ馬鹿。

 

5. ダブルスタンスの難解性

 

とか思ったりして毎日過ごしてると一人で勝手にどんどん疲弊する。1番タチが悪いのはそういう自分のことをそれなりに気に入ってるからだ。自分のことは嫌いなんだけどまあでも悪くもないじゃんっても思う。タチ悪いとか言いながらそこまで悪いとも思っちゃいない。この辺は説明しづらいけど両立する感情ではある。説明するから今度一緒にお酒飲みに行こ?おにゃのこ限定な。

 

6. 暑くね?夏死ね

 

なんでこんな憂鬱なブログを連チャンしなきゃいけないかはもう分かってて夏が迫ってきたからだ。ひねくれた人間には夏の暑さは癪に触る。でも憂鬱を救うのは開き直りではなくてただ淡々と今の憂鬱を形にしていくことだけだ。その作業がある瞬間を超えるとキラキラしたものに変わることがある。大好きなビーチボーイズのブライアンウィルソンも夏や海とは程遠い人間だったらしいしヴェルヴェッツのサンデーモーニングって曲も死ぬほど綺麗だ。それでどうなるわけでもなくただ苦しいだけらしいけどね。自己療養は重要だしこういう場所に書き殴ることも結構気に入ってきた。とか言い始めたあたりで飽きてくるんだよなあ。

 

 

 

☆初期衝動的に書いてると2億5千万回読んだ「風の歌を聴け」のフレーズがちょこちょこ挟まってしまうのが恥ずかしいけど気分に沿ってるからそのまま使っています

幸せになれない(前ブログ 2018/7/2)

1. 序文というには弱い文字の羅列

 

最近なんとなくイライラしていてイライラの原因もあんまり掴めないからまたイライラしてる。よく分からないから頭がこんがらがってきてとりあえず最近見かけたライブビューイングにいる頭ハッピーマンをみてふと考えた幸せについての考えを文章にしてみることにした。下手くそな駄文が出来上がる気がしているけれど日本で1番暇な人たちが読むのがブログだ、ある程度出来が悪い方がちょうどいい。

 

2.幸せは歩いてこない

 

だから歩いていくんだね。幸せにならなきゃいけないとは思ってないし不幸だと思ってるならそれはそれでいいことだと思う。幸せって難しい。「今が1番幸せだ」とか抜かしてもその幸せの絶頂は射精するなり薬をキメるなり100wのアンプでファズを踏むなりハナ差で単勝馬券が当たっている判定写真が最初に出てきたりしている間だけしか持たない。しかもそんな絶頂の今は1秒後には過去になる。そもそも厳密には何か事象が起こった後にしか評価はできないわけでそこであの瞬間は幸せだったと評価することしか出来ない。失った時間だけしか評価できないし失った時間だけが幸せな時間になりえる。つまり幸せを追い求めることは失った美しい時間を追い求めることだ。


3. 童貞だった頃に付き合ってた女の子の話


高校3年の夏から大学1年の夏まで付き合った女の子がいた。その子は結局当時25歳の社会人に取られた。その頃まだピカピカの童貞だった僕はとてつもなく女々しい言葉を吐いたし、それでさらに距離を置かれた。半年くらいそのことでずっといじけていたが大学2年にはなんとか立ち直り1人の女の子に振られ1人の女の子と付き合うことになった。それなりに幸せな時間を送っていたけれどそれでもその子のことはずっと胸の片隅にはあった。

 

4. 元童貞のリベンジ


去年、その子の職場が僕の住んでいるところと近くなったことをきっかけに飲みに行くことになった。彼女は酔っ払うとあの時のことを謝りたいとずっと言っていた。そのまま流れ込むようにホテルに行きセックスしてまた付き合うことになった。が半年も経たずすぐ別れた。こんなめんどくさい女だったっけと思ってしまった。

 

5. 追い求める(seekする)ことについて

 

「seek&find」

「 失ったものを探し見つけ出す、しかし見つけ出した時にはそれは変容している」

 

それがレイモンドチャンドラー小説の根底だ、とどこかで読んだ(これは講義室の隅で経済学の授業中に文学系の小難しい本を読んでるのがカッコいいと思っていたおそらく僕の人生で1番の黒歴史になりえる頃に蓄えた知識だ)。ちなみにその裏で行なっていた経済学にはサンクコスト効果というものがある。分かりやすく言うと元を取らねばもったいないという思考がそれだ。seekすることにもコストがかかる。思いを馳せる時間が一番のコストだしそれをもう一度取り戻そうとすると沢山の心理的負荷がかかる、それにお金だってかかる場合もある。とするとseekしているものに対し大きな期待を膨らませていく。要は僕らは一度失った幸せな時間を、時が経てば経つほど美化してしまうのだ。

 

6. 幸せになりたい人間は幸せになれない

 

もう戻らないものならまだいい、青春時代は一度しかないから美しい。しかしまた手に入る可能性が少しでもあるものは厄介だ。美しいと認知しているものと、美しいかもしれないと認知しているものが並ぶと、どうしても前者を手に入れることを想像してしまう。そして前者を失わなかった人生のルートに思いを馳せてしまう。一度失った、美しいと思っていた時間はseekし続けている間どんどんと輝きを増していき、findした瞬間にそれは全く違うものになっている。幸せになりたい人間は絶対に幸せにはなれない。穴だらけかもしれないけど個人的にはもうこれで良いかなという感じ。Q.E.D.

 


7. だからなんだって話


イライライライラにゃんにゃんにゃんにゃんした気持ちになると考えたことをこうやってまとめることである程度スッキリすることもある。今日はわりかし成功した。最近はサウナに行ったりくだらないツイートしたりすることでも発散している。日々鬱々と思っていることを吐瀉物みたいに撒き散らしたような文章。ただのデトックス。「自己療養のささやかな試み」として小説を書くほど脳みそができてないからこういうところに適当に書く。幸せかどうかが重要だと思い込むと毎日死にたくなるしそんなことはもう考えないようにしている。僕はいつでも生きていくことは難儀だと思っているしそんな人間たちとつるんでそんな人間たちのために生きていきたいと思ってるしなるべくそういう風にやってる。

それなりに毎日は楽しい。

 

 

8. オチのようなもの

 

だけど僕は今でもやっぱり一昨年東京に行ってしまった女の子と酔っ払ったまま抱き合って眠った日々が恋しいし、今年東京に行ってしまったセフレとのセックスが恋しい。

にゃんにゃん教入門(前ブログ記事)

[にゃんにゃん教典より抜粋 翻訳:マルキマス]

 

・にゃんにゃんにゃんにゃん

(万物はにゃんにゃんのメタファーである)

 

・にゃんにゃんにゃんにゃん

(にゃんにゃんは全存在とイコールの関係にありまた形而上、形而下のいかなるものにも置き換え可能である)

 

・にゃんにゃんにゃんにゃん

(全存在はにゃんにゃんであり常に我々はにゃんにゃんに含まれている)

 

・にゃんにゃんにゃんにゃん

(我々はにゃんにゃんに含まれていることに気づかなければいけない)

 

・にゃんにゃんにゃんにゃん

(にゃんにゃんとの合一性を常に意識することで全存在が一つに繋がり我々の思考は全く新しいパラダイムへと到達することができる)

 

・にゃんにゃんにゃんにゃん

(沙宇那は強制的に自らの意識をにゃんにゃんへの気づきに近づける現代の瞑想施設である)

 

・にゃんにゃんにゃんにゃん

(ミッドナイト競輪をやるやつは馬鹿)

 

にゃんにゃんにゃんにゃん

(みんななかよく)

 

 

 

みなさんもにゃんにゃんに含まれています。はやく気づけるといいですね。