私の頭の中のオーガナイザー

脳みそを整理整頓します

紙パックの日本酒と祈り

 昨日はやっすい紙パックの日本酒ガンガン飲まされて帰ってから一日中眠り続けてた。ああいう酒は次の日を滅ぼすための役割しかないんじゃないかな。紙パックの日本酒を一人一人に1パックずつ飲ませたら1日で世紀末が訪れると思う。かつての金星の文明を3日間で滅ぼしたキングギドラも真っ青。二度とあんな酒を飲むことがないように祈っている。

 

祈るっていうのはこれ以上自分の関与では全く結果が変わらない物事に対して行うもの。これ以上どうにもできないことに対して少しでも良い方向に進むように願うこと。そう考えると競馬も1つの祈り。レースの結果って1つしかないしそれはこっち側がいくら馬の能力値を見極めたところで変なペースになってレースがクラッシュすることだってたくさんあるし出遅れ落馬だってある。そんな中で自分が望んでる1つの結果になるように祈る、祈る、祈る。競馬民は祈りのプロである。少しでも良い方向に、というのはすごくステキな気持ちだと思うし愛に近いものがある。

 

 愛と恋の違いは相手を1人の人間としてみるか、それとも異性としてみるかっていうところで愛は同性でも成立するもんだと思う。相手に対してのいたわりとか優しさとか、そこらへんの小っ恥ずかしいけどステキな気持ちあるやん?そういうもんなのよ。ちょっと長くなりそうな話だし割愛。ただ一つ言えるのは、愛や恋はインスタント的なコンビニエンス的な気持ちではないと思う。

 

 コンビニは24時間開いててどこにでもあるから気楽に人が入れる。気楽さっていうのは実は本当に価値の高いもので、スケールメリットで1番大きいのはこれ。ローカルに進めていくと質の面は上がるんだけど基本的にどんな商売も質より量のが上が吸える取り分は大きくなる。量を稼ぐのに1番必要なのが気楽さ。丸亀製麺がいかに本場の香川県民からみてクソだろうが、一蘭が博多人にゴミ扱いされてようが、スタバのコーヒーがドブ水だろうが、人は気楽さを選んでいく。地元の人の知る人ぞ知る名店は多いし地元ではそれなりに強いローカルなチェーン店なんかも多いんだけどね、ジョイフルに週3で通ってた私が言うんだから間違いない。ただ忘れて欲しくないのは気楽さはそれ単体での価値があるものではなくて、なるべくなら肩を少し張ってでも質が良いものや見たことないものを探しに行くような生き方はしていきたい。

 

 最近はTLでも前よりアホどもがアホ晒して叩き合ってて辟易してる。こっちはただでさえストレス社会と闘ってるというのに見てるだけでゲンナリしてくる。じゃあTwitter見なきゃいい話なんだけど私だってストレスのはけ口にしてるしたまには醜い言い争いに参加しちゃう事だってある。醜い争いっていうよりも争い自体が全部醜い。怒りをぶつけるってことは剥き出しの自分をぶつけるって事で。人間の中身なんてほとんどエゴでそれはそれは醜いもんだし、だからこそ美しいものが好きで美しくありたいと思うんじゃないかな。競馬なんてやらずにそういうステキな方向に向かう祈りだけやっていきたいと思うよね。

クソダサいパッチワークみたいな文章でお粗末様でした。安田記念◎サングレーザー、皆さん明日も祈りましょう。